クラニオバイオのセッションは「癒しは一面的なものではない」と教えてくれる(気がする)。

ふだん、私は、クラニオバイオで起こることをできるだけ「定義しない」ようにしています。

クラニオバイオは、基本、「脳脊髄液を流すワーク」だし、「第一次呼吸が起こるワーク」ではありますが、そう思うと、「脳脊髄液が流れること」「第一次呼吸を起こすこと」に意識が向き、結果として、無意識レベル、共鳴レベルで、そうなるように方向づけしてしまうな、とワークをしていて感じました。

そこで私は、「クラニオバイオで起こることをできるだけ決めつけない」という方針をとることにしました。

第一次呼吸が起こるのはあくまで結果。自分は自分の身体の中にしっかりととどまり、「クライアントの身体が自由に変化できるように見守る」ことに徹するように心がけています。

それをし始めてから、セッションでいろんな変化が起こるようになり、「起こることを定義しないほど、良いセッションができる」と感じるようになりました。すると本当に、クライアントさんからいろんなフィードバックをいただくのです。

「身体から声が聞こえた」「お腹から光が出てきた」「自分の深い部分とつながった」とか。起こる変化は、その人の身体が望んでいることなのでしょう。夢を見る人もいて、その夢が何を意味しているのか…と質問されたこともありました。

その夢の真のメッセージは私にはわからないけれど、自己治癒、癒しというのは「優しい」とか「穏やか」とか「清らか」といった定型のイメージのようなものではなくて、複合的であり、さまざまな表現、ルートを通って行われ、植物がツルを伸ばすような多様さがあるのかな、とセッションをしていて感じます。

そして自己治癒力は、ある意味人生ともつながり、人生で起こる困難も、より良い人生を送るうえである意味必然的に起きているかもしれない、癒しのプロセスなのだと思います。自分が成長(成熟する)ために。

決して順調な人生を送っているわけではない私だからこそ、そう思いたいのかもしれませんが。

でも、身体はそう教えてくれているような気もします。

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