自分の中のさまざまなエリアを「耕して」いく。
誕生日のお祝いに、友人が牛タンをご馳走してくれました。

血がすぐに足りなくなるタイプなので、お肉を食べると身体にエネルギーがみなぎり、
「この栄養素ほしかった!」と言っているような気がします。
身体は欲するものを知っている。
身体に静かに、深く、耳を澄ませると、かならず身体は大事なことを教えてくれます。
さて、クライアントさんとお話しするときに「耕す」という言葉を使うことがあります。
児童精神科医の方が以前おっしゃっていたことが心に残り、それからよく私もこの言葉を使っています。
その精神科医の先生とお会いした時、10メートル先から癒しのただならぬオーラを漂わせていて、
会った瞬間に、心がほどけ、泣きそうになりました。
とても驚き、その先生とお話ししている途中で、
「どうしてそんなに癒しの雰囲気を出せるんですか?」と尋ねると、
「自分をたくさん耕してきたから」という言葉が返ってきました。
先生は、過去にお母様との関係に悩まれ、その関係性を解消するためにご自分でいろいろと取り組んでいたそうです。
具体的に何をしたかはわかりませんが、自分(の心)を耕したことで、自分が癒やされ、
臨床にもとても役立ったとおっしゃっていました。
人間という存在は、身体だったり、心だったり、栄養だったり、あるいは家系の問題だったり、さまざまな要素で構成されていて、
「耕した分だけ」癒しが進むし、その人が成熟していきます。
できれば、耕すエリアは、ひとつだけではなくて、自分のいろいろな面を耕していくといい。
人間は自分のみたくないものにフタをしがちだけど、
耕していないところを意識的に耕していくことで、なかなか進まなかった成長や癒しや変容が進んでいきます。
私はといえば、長年、家族については耕してきたつもりだったし、自分のことに取り組んできたつもりだったけれど、
知らずに放置していたエリアがあったと気づきました。
いま、クラニオセイクラルバイオダイナミクスのセッションと並行して、
自分の耕してこなかったエリアもコツコツ、ひとつずつ耕しているつもりです。
「耕すこと」の効用は、言葉で伝えても、たぶんわかりません。
最初は、耕してきた人に会うことがいいのかもしれません。
会えば、その人を通して、耕す意味がわかるかもしれません。
そして、耕されるかどうかはわからないけれど、耕してみることで、その意味を実際につかむことができるのかもしれません。

