「本当」を持ったプレゼンス。
私は重く暗い人生を抱えて育ってきたために、
その苦しさから逃れるために、自然とセラピー、癒しの世界へと足を踏み入れてきたわけですが、
おかげで、
同じように苦しんでいる人はもちろん、
そこを乗り越えて、明るく幸福に生きている人、
真剣に自分の人生を歩んでいる人、
レベルが違うくらいこころが澄んでいてあたたかい人
自己一致していて、ありきたりな言葉にも真実味が含まれているのを感じさせる人
など
社会的地位ではなく、
「人としてすごい人」にたくさん会ってきた
というのが
癒しにかなりつながったと感じています。
自分のエゴを捨てて捨てて、「妖怪(いい意味で)」のようだった人
会った瞬間に、声がほどけていて、他の人とまるで違った佇まいをしていた演劇の先生
嘘のない生き方と身体をしているからか、一緒にいると、さわやかな風が流れてくる人
なども…。
「人として」。
日々の思考の使い方、自分との対話。
そこに注意を払い、
「本当」であろうとすること。
ミュージシャンの配信を見たり、
小説家のインタビューなどを読んだりして、
「ペルソナがあって当たり前。本当の自分を見せる必要なんかない」
といった考えを見聞きすることがありますが、
ほんとにそんな厭世的な考えでいいのか?
とふしぎに思います(しかも啓蒙する側の芸術家とかなのに)。
私の経験上かもしれませんが、
「本当」であろうとする人は問答無用でプレゼンスが美しいです。
そして人を芯から安心させる力を持っています。
「ありのままの自分、本当の自分」という定義、
荒々しい、暴力的な自分=ありのまま、本当
ではなく、
内観して不要なもの(上記のような荒々しさ、どろどろした感情など)を削ぎ落とした自分=ありのまま
だと思うので、
ありのまま、本当というのは、
「原型」でもあり、「成長後」「進化系」、「道の先にあるもの」でもあると思うのです。
もがき、削ぎ落とし、本質を育てて
はじめて生まれるもの
ではないかと。
そういえば、最近感動したこととして、
某会に遊びに行き、
長期で瞑想している人とお話(雑談)したのですが、
その人の内面が明鏡止水のごとく静かであるのを肌で感じました。
プレゼンスのすごさ(圧いっさいなし)を味わい、
その日いちにち、感動に浸りました…。
また、1年ぶりくらいに別のある人とお会いしたら、
一皮むけたようにクリーンになっていて、
聞くと、その間、ヨガをやっていたとのこと。
これもまた、さわやかですてきだなあと。
ヨガでも瞑想でもフォーカシングでも
アレクサンダーテクニークでもイールドワークでも何でもいいのですが、
自分の内側をしっかり見つめて地道に耕している人が
私はやっぱり好きなんだろうなと思います。
なかなかできていないけれど、
自分自身もそうありたいです。

